1808年ごろ建てられた山門で、彫刻が見事です。獅子、龍、象の彫刻が一対になっており、阿吽(あうん)の形になっています。ふだん板塔婆で目にする梵字の始めが「阿」で、終わりが「吽」です。
 


この三幅の掛軸には三千体の仏さまが一つ一つ丹精込めて描かれています。この掛軸を眺めれば、三千の仏さまに守られている心の安らぎを味わうことができます。


一枚に千体の仏さまが描かれている
 


本堂内にあり、狩野派一派の作とわかる書き付けがあります。

 


本堂から回廊づたいに登っていくと奥の院子王権現堂に行き着きます。堂内には大小さまざまの男根の御神体が奉納されています。本尊様は観音さまで33年に一度ご開帳する秘仏です。

 


身丈7尺の願かけ大地蔵さまが東光院山門前におわします。この願かけ大地蔵さまは、人の一生に一度きり願いをかなえてくださる大地蔵さまです。ところで、一生に一回だけ願いごとがかなうとしたら、皆さんは何をお願いしますか?
人生において、何を大事と考えるかだと思います。

 


子どもが健やかに育ちますようにという発願によって建立されたお地蔵さまです。近隣の信仰厚い人々がお参りし、四季折々の花が供えられています。

 


平成3年12月28日、戦後半世紀ぶりに本間弥蔵さんから梵鐘を寄進いただきました。次の日から住職が毎朝6時に「家内安全」「諸縁吉祥」「厄除招福」「無病長命」「五穀豊穣」「開運成就」の願文を唱えながら鐘を撞いています。この梵鐘には敬慕する良寛様の詩が刻まれています。



(訳文)
この生命はいったいどこから来たのであろうか
また去ってどこへ行くのであろうか
ひとりあばら屋の下で坐って
一心に静かに考えてみる
考えてみたところで生命の始めはわからず
始めがわからねば、どうしてその終りが
わかろうはずがない
現在の生命もまた同じくわからぬものである
およそ移りかわるものはすべて空である
空の中にわれという存在がしばらく
あるにすぎぬ
ましてわれの作り出す是だの非だのが
成立するわけがない
そんなことを論じているより、この道理を容れて
縁に随ってさからわずにゆったりとしておるにしくはない。
 


大晦日の晩、梵鐘を撞いてみませんか。除夜の鐘は百八の煩悩を消滅させて、清らかな新年を迎えるためとされています。私達を日々悩ます根源を仏教で四苦八苦といいます。四苦は生老病死の四つ、そして愛別離苦、求不得苦、怨憎会苦、五盛陰苦の4つを加えて八苦です。「四九八九」を「四×九+八×九」で百八つの煩悩になるとのこと。お数珠の玉が百八個あって、お数珠をすることによって煩悩を消滅させるのも同様の考えからきています。



何人たりともこの四苦を逃れることはできんちゃ。尽きることのない悩み、苦しみを持つ私どもに救いの手を差しのべてくれるのが仏教の教えだがさ。