真言宗の開祖 弘法大師空海のことを、私たちは親しみをこめて『お大師さん』とお呼びし、お大師さまが生まれ、修行された四国の旧跡を巡拝することを『遍路』といいます。

 佐渡は古くから大師信仰の篤い島で、江戸中期の延享二(一七四五)年、雑太西方東林坊の住持、快栄により霊場が始まったとする記録が初見です。

 また、文化十二(一八一五)年には、小木小比叡の善策らが四国霊場の土砂を奉持し、島内八十八ケ所に御本尊仏像を安置し、御詠歌額を掲げて三崎遍路は始まりました。

 佐渡は江戸時代には、出判制度があり他国へ出るには難儀を極めました。その為に島民の智恵として、四国遍路を佐渡に写(移)した佐渡霊場が設けられたのです。俚謡に『四国西国およびもないがせめて七日の佐渡遍路』と唄われました。

 明治の廃仏毀釈の混乱期を経て、昭和六年には、島内各地にあった四国の写(移)し霊場を整備統合し、現在の佐渡遍路の礎となる『佐渡一国遍路霊場』が始まりました。

 開眼法要には信徒四千人が参集し島民あげての遍路が始まったのです。
平成十六年に佐渡市となり、案内情報の刷新等、同十八年に『佐渡八十八ケ所霊場』として改編され、現在に至っています。