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胎蔵寺について |
享徳元年快心法印が開創されたと言われて本尊は大日如来です。伊勢神宮の神官であった藤波忠公という人が、江戸から佐渡へ流されたのは承応3年6月のこと。三人の従者とともに佐渡に渡った藤波は狄村(現在の北狄)の齋藤万五郎という家を配処としました。この家はすでに慶長検地に「齋藤」という苗字で、同時に胎蔵寺の大重立(おもだち)でもあるため、開基檀家と思われるふしがあります。伊勢祭主藤原忠公は佐渡に流された折、当寺に住み、寛文12年4月8日に赦免帰国されたといわれています。その遺品の絵馬、椀などが当寺に残されています。
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胎蔵寺宝物 |
絵馬
万治4年(1661年)に奉納された絵馬で、奉納者は伊勢祭主藤波友忠。佐渡へ流され13年、赦免を願って奉納したものです。ある年の秋頃、夜な夜などこからともなく一頭の裸馬が現れ田畑を荒らすといううわさが持ち上がりました。不安にかられた村人達が祭主様にお伺いをたてたところ、「そういえば心当たりがある」と奉納した絵馬を村人に持ってこさせたところ、それが一匹の放れ馬を画いた墨痕淋漓たるものでした。友忠はしばらくその画筆を眺めていたところ「イヤ誠にあいすまんことをした」と呟きやおら筆をとるとその絵馬に口縄を書き添えたのです。
その後この噂は村から消え去ってしまいました。 |