東光院は、弘仁元年(810年)に阿釈上人が開基したと伝えられています。山号の「龍亀山」は、鎌倉時代に佐渡に配流された順徳上皇が当地を訪れ、田園風景が亀甲のごとく明媚であったことからつけられたと伝えられています。時代がくだって、江戸時代となり、上杉景勝の軍勢が佐渡攻めの折、近くに住む名主山田六右衛門の嘆願により、焼き討ちを免れることができました。この時天台宗から真言宗に改宗し、それまでの本尊様を奥の院へ安置し、現在の本尊様大日如来を本堂におさめたとのことです。
本堂・子王権現堂(左上)・権現堂棟瓦模様(右下)


本尊様は金剛界、胎蔵界をあらわす2体の大日如来さまです。全宇宙を表す「曼荼羅」の中心にいらっしゃる仏さまが大日如来です。右側の仏さまが金剛界の大日如来、左側が胎蔵界の大日如来です。この二体の大日如来はいわゆる男女のようにたとえられ、理知を表す金剛界の大日如来さまが男性的で、慈悲を表す胎蔵界の大日如来さまが女性的な作用を示します。江戸時代に作られた仏像と推測されます。
真言で「南無本尊界会」「南無両部界会」とお唱えしますが、これは本尊大日如来さまを一心に拝んでいることとなり、両部界会とは金剛界、胎蔵界の大日如来さまに心から帰依しているという意味です。


(写真左)慈悲の胎蔵界と(写真右)理知の金剛界
 


ここには子孫繁栄や縁談、安産、下の病気にご利益がある、ひときわ目立つご神体、約3トンの木製の男根が奉納されています。もとは赤泊徳和、みそなめ地蔵の脇にあった松の木を平成6年に当院が譲り受けて、この地区の青年会のメンバーが丹精こめて造りあげた御神体です。又、ここには婦人病を患う人向けに塗りがさに穴をあけたものや、約500体もの桐の木でできた男性のシンボルが江戸時代から奉納されています。

約500本の男性のシンボル
毎年7月18日は子王権現祭り(東光院まつり)のご縁日です。

祭り当日は権現堂で僧侶方が600巻の大般若波羅蜜多経を読誦します。毎年この時に祈祷札を作ります。江戸時代から今日まで約200年以上も大般若波羅蜜多経が唱えられ、国家安穏、天下泰平、家内安全、五穀豊穣を祈祷してきました。牛市や露店が立ち並び、大勢の人々でにぎわった往時がしのばれます。