第56番「清水寺(せいすいじ)」。 参道石段と脇の杉木立、方丈殿の大壇、蔵の鏝絵、救済殿。
うさぎ観音の御朱印のお授けを始めました。
昨年11月に開眼いたしました、うさぎ観音の御朱印のお授けを始めました。
デザインは独創的なイラストを描かれる『こはるさん(Instagram@drawingkoharu)』にお願いし、特徴を捉えつつ、オリジナリティに溢れた御朱印となりました。
佐渡金山をイメージした(!?)金色の御影となっております。
続いて季節限定バージョンも制作中です。
佐渡長谷寺にご参拝された際にはぜひ御朱印所まで。
24時間いつでもお参りできる「祈りのコンビニ霊場」始めました。
長谷寺でウサギ観音を建立しました。
境内の草取りをして頂いているウサギさんに感謝を込めて
ウサギ観音を建立しました。
お遍路においでの際はこちらもお参りください。
こちらのニュースサイトIRORIOで紹介させていただいております。
石塚かおりと行く佐渡八十八カ所霊場めぐりのご案内
九州第一観光様主催のお遍路の様子
2017/10/16~18に実施された九州第一観光様主催の
お遍路の様子をスライドショーで公開しました。
こちらをクリックしてください。
智光坊のご紹介
五番札所 倉崎山 智光坊
当山は、宝暦年間の寺社帳によると大同3年(808)空山によって開山されました。
ご本尊は千手観音、往時は新義真言宗小比叡山蓮華峰寺の末寺、現在は真言宗智山派に所属しています。
境内には、天保4年(1833)8月に海上守護の神である金毘羅大権現をまつる三間四方の金毘羅堂が建立されます。棟札には、棟梁は江戸時代初期より代々宮大工をつとめる村山村(現 佐渡市羽茂村山)髙野甚右衛門 良春、彫刻は門人の西方村(現 佐渡市羽茂大橋)謙蔵の作とあります。
この堂于の四周には精巧な彫刻が数多く施されています。それは、龍・獅子・麒麟・虎・亀・象などの各種動物、また松・竹・梅・蓮・葡萄・瓜といった多くの植物、更には天女に雲形、波形など様々な彫刻で埋めつくされています。まさに豪華のひと言、高度な技術をもって造られた繊細な建築美を目の当たりにご覧頂くことが出来ます。
また、髙野甚右衛門は山門も建てており、山門正面の屋根を支えている二匹の鬼がユーモラスな表情で参拝する皆様をお迎えいたします。
ぜひとも、ご参拝いただき、間近でこの彫刻の数々をご覧いただければと思います。
安照寺のご紹介
*お遍路とのご縁
当安照寺の境内には、「佐渡一国遍路開創記念碑」があります。昭和6年に現在の佐渡霊場が始まりますが、その記念碑が当寺境内の大師堂前に建立されました。島内各町村から委員、世話人等42人の組織からなり、記念式典の日には、4000人の参加者を数え、ここに島民あげての佐渡霊場が始まったのです。札所選者3人の名も刻まれ現佐渡霊場の本番札所はこの時に決められたのです。お四国霊場のご本尊と詠歌額も一ケ寺ずつ作成され納められました。
*当山の見どころ・スポット
♠大相撲・佐渡の相撲寺
佐渡ケ嶽部屋の元祖 佐渡ケ嶽猪之助の菩提寺で過去帳が残る。猪之助は夷町 佐藤長兵衛家出生、宝暦5年江戸にて死す(佐渡百選)。佐渡奉行所絵図師・石井文海の「佐渡先哲仙筵図」に雄姿が描かれている。
♠小林多喜二の「不在地主」は、夷出身で小樽で農場等を経営した磯野商店がモデル。
その磯野家の菩提寺。現在、小樽運河にある「海猫屋」というカフェはかつて磯野の穀物倉庫(お寺の境内入口の大きなお墓)
♠佐渡遍路はじまりの記念碑
昭和6年、いまの佐渡八十八ヶ所霊場が開設され、同8年、その記念碑が当寺境内に建てられました。島内各村からの40名の委員、世話人により、島民あげて佐渡一国遍路霊場がはじまりました。この時、いまの88札所が決められました。
♠歌舞伎俳優 尾上松也さんの母方の祖母(故磯野ハツエさん)の菩提寺
祖母は夷町・磯野嘉右衛門家出生で、現在松也さんの母親・盛恵さんが墓地を見られています。盛恵さんには、佐渡のため本人の来島、来寺を伝えてあります(本人、小さい頃に一度来寺、参拝)
佐渡遍路つれずれ こころ癒しの旅
皆さん、ごめんください。霊場会でお世話になっている佐渡霊場会29番札所の梶井です。
手元のネピア色の写真に、5~6人連れ立って歩くお遍路姿の一行をとらえたものがありますが、農あがり(農閑期)に札所巡りをする風習は、かつての島内の風物誌でした。身に付けているもの、すべて手作りのようです。
今や、お遍路ブームもあり、若い人もスタイルにとらわれず自由になり、巡拝の手段もマイカーや自転車、歩き遍路あり(本年2人の方が11泊12日で結願)。霊場会では、遍路号なるバスを毎年走らせていますから、いつでも何回でも参加可能なんです。都合の良い日の時だけのお遍路もOKなんです。亡き人の供養のため(花へんろ)、札所寺院のご本尊様にご縁洲を結ぶ信仰の旅、自分さがし、癒しをもとめての奉拝やお寺の建築、たたずまいを見て回る人、また近年、ご朱印ガールという女子旅も流行っていますが、人によりそれぞれ目的が違いましても、歩くことで心も身体もリフレッシュに‥‥…。一つひとつ煩悩を捨て去り、満願を迎える頃には何事にもとらわれない境地に。
☆お遍路の装束
お遍路の白衣は死装束といいますが、白を身に付けることは決死の覚悟。お遍路により、一度は死して、新しい自分の発見、再生してやり直すことができるんです。5回巡れば青、10回はレッドの赤の納札を使えますよ。
☆信仰の島・大師信仰
島内の周囲はおよそ280キロ、現在、その数字と同じくらい281ケ寺のお寺があるんですが、明治維新の時には539ケ寺ですから信仰の島といわれる由縁です。そして真言王国というはど真言宗寺院が多く、それだけにお大師さん(弘法大師・空海)信仰が篤く、霊験ばなしが伝わります。例えば、外海府の関には浜辺でお大師さまをお迎えした話や護摩を焚いたという禅棚岩や・木の葉石をおまじないし肥料にしたという記録が残っています。また、大師信仰の篤かった証しとして、九百年、千年、千百年目の節目の大師御遠忌記念塔が島内の真言寺院の境内で見られます。
☆佐渡遍路のはじまり 江戸中期から
現在の佐渡八十八ケ所霊場は昭和6年に、佐渡一国遍路霊場として始まりますが、その歩みは古く、延享二年(1745)に始まり、文化十二年(1815)の三崎遍路、国仲遍路など島内に多くの霊場が設けられます。佐渡から本四国へは遠路のため、巡拝は容易でなく、島民の智恵として、四国霊場の写し(移し)として島内遍路が始まりました。
『四国西国およぴもないが せめて七日の佐渡遍路』
この里謡は、四国霊場や西国三十三観音霊場へは行けないが、せめて七日で巡拝できる佐渡遍路の札所を巡りたいものだという当時の島民の切なる願いのメッセージです。
*佐渡遍路の目標(課題)
霊場会では、年間の巡拝者を3万人を目標に努力な続けています。それには受入れ体制の整備を進め、より島外へ佐渡遍路のよさをPR、リピーターを増やしたいですね。行政、観光協会のご協力・ご支援もを仰ぎたい。さて、佐渡観光への団体参拝はどこから始まったかご存じですか。実は日蓮上人遺跡参拝団がその始まりといいますよ。
昨年、日本遺産に四国遍路が、本年は会津三十三観音霊場が指定、登録されましたが、佐渡八十八ケ所霊場もそのことにあやかり、各地の霊場と交流を深め、道のりは大変ですが、いつしか佐渡霊場サミットの開催を目指したいものです。
時代こそ変わりましたが、お遍路の習俗が今でもしっかり根付いている佐渡。お遍路さんの上をトキが舞う風景のポスターが作成される日も近そうです。全国の皆さん佐渡遍路ヘどうぞ。お待ちしでいます。
「仏壇・墓石の福宝」様主催霊場めぐり
仏壇・墓石の福宝様主催の
「第4弾 石塚かおりと行く、佐渡八十八ヶ所霊場めぐり」が
5月23日、24日両日、好天に恵まれ
無事、結願を迎えられました。
ツアーの様子は福宝様のサイトをご参照ください。
ご参拝有難うございました。