多聞寺の奥の院である堂林観音では、毎年8月17日の午前11時より年に一度の特別開帳を行っております。
ご開帳ののち、祈願しました千手観音絵姿を授与しております。
また赤飯のご接待に加え、記念品として匂い袋(お香を入れた袋)もお渡ししております。
ぜひ、この機会にご参拝くださいますようよろしくお願い致します。
https://www.instagram.com/p/CD22ay2JgGg/?igshid=7qtzpe4mpob5
多聞寺の奥の院である堂林観音では、毎年8月17日の午前11時より年に一度の特別開帳を行っております。
ご開帳ののち、祈願しました千手観音絵姿を授与しております。
また赤飯のご接待に加え、記念品として匂い袋(お香を入れた袋)もお渡ししております。
ぜひ、この機会にご参拝くださいますようよろしくお願い致します。
https://www.instagram.com/p/CD22ay2JgGg/?igshid=7qtzpe4mpob5
こちらをクリックして下さい。
99mm×210mm A4判三折、実サイズはA3判両面印刷です。
無料配布していますが、pdfデータから、ご自分でA4に縮小印刷してください。
第56番「清水寺(せいすいじ)」。 参道石段と脇の杉木立、方丈殿の大壇、蔵の鏝絵、救済殿。
昨年11月に開眼いたしました、うさぎ観音の御朱印のお授けを始めました。
デザインは独創的なイラストを描かれる『こはるさん(Instagram@drawingkoharu)』にお願いし、特徴を捉えつつ、オリジナリティに溢れた御朱印となりました。
佐渡金山をイメージした(!?)金色の御影となっております。
続いて季節限定バージョンも制作中です。
佐渡長谷寺にご参拝された際にはぜひ御朱印所まで。
境内の草取りをして頂いているウサギさんに感謝を込めて
ウサギ観音を建立しました。
お遍路においでの際はこちらもお参りください。
こちらのニュースサイトIRORIOで紹介させていただいております。
2017/10/16~18に実施された九州第一観光様主催の
お遍路の様子をスライドショーで公開しました。
こちらをクリックしてください。
五番札所 倉崎山 智光坊
当山は、宝暦年間の寺社帳によると大同3年(808)空山によって開山されました。
ご本尊は千手観音、往時は新義真言宗小比叡山蓮華峰寺の末寺、現在は真言宗智山派に所属しています。
境内には、天保4年(1833)8月に海上守護の神である金毘羅大権現をまつる三間四方の金毘羅堂が建立されます。棟札には、棟梁は江戸時代初期より代々宮大工をつとめる村山村(現 佐渡市羽茂村山)髙野甚右衛門 良春、彫刻は門人の西方村(現 佐渡市羽茂大橋)謙蔵の作とあります。
この堂于の四周には精巧な彫刻が数多く施されています。それは、龍・獅子・麒麟・虎・亀・象などの各種動物、また松・竹・梅・蓮・葡萄・瓜といった多くの植物、更には天女に雲形、波形など様々な彫刻で埋めつくされています。まさに豪華のひと言、高度な技術をもって造られた繊細な建築美を目の当たりにご覧頂くことが出来ます。
また、髙野甚右衛門は山門も建てており、山門正面の屋根を支えている二匹の鬼がユーモラスな表情で参拝する皆様をお迎えいたします。
ぜひとも、ご参拝いただき、間近でこの彫刻の数々をご覧いただければと思います。
*お遍路とのご縁
当安照寺の境内には、「佐渡一国遍路開創記念碑」があります。昭和6年に現在の佐渡霊場が始まりますが、その記念碑が当寺境内の大師堂前に建立されました。島内各町村から委員、世話人等42人の組織からなり、記念式典の日には、4000人の参加者を数え、ここに島民あげての佐渡霊場が始まったのです。札所選者3人の名も刻まれ現佐渡霊場の本番札所はこの時に決められたのです。お四国霊場のご本尊と詠歌額も一ケ寺ずつ作成され納められました。
*当山の見どころ・スポット
♠大相撲・佐渡の相撲寺
佐渡ケ嶽部屋の元祖 佐渡ケ嶽猪之助の菩提寺で過去帳が残る。猪之助は夷町 佐藤長兵衛家出生、宝暦5年江戸にて死す(佐渡百選)。佐渡奉行所絵図師・石井文海の「佐渡先哲仙筵図」に雄姿が描かれている。
♠小林多喜二の「不在地主」は、夷出身で小樽で農場等を経営した磯野商店がモデル。
その磯野家の菩提寺。現在、小樽運河にある「海猫屋」というカフェはかつて磯野の穀物倉庫(お寺の境内入口の大きなお墓)
♠佐渡遍路はじまりの記念碑
昭和6年、いまの佐渡八十八ヶ所霊場が開設され、同8年、その記念碑が当寺境内に建てられました。島内各村からの40名の委員、世話人により、島民あげて佐渡一国遍路霊場がはじまりました。この時、いまの88札所が決められました。
♠歌舞伎俳優 尾上松也さんの母方の祖母(故磯野ハツエさん)の菩提寺
祖母は夷町・磯野嘉右衛門家出生で、現在松也さんの母親・盛恵さんが墓地を見られています。盛恵さんには、佐渡のため本人の来島、来寺を伝えてあります(本人、小さい頃に一度来寺、参拝)