佐渡遍路つれずれ こころ癒しの旅

 皆さん、ごめんください。霊場会でお世話になっている佐渡霊場会29番札所の梶井です。
手元のネピア色の写真に、5~6人連れ立って歩くお遍路姿の一行をとらえたものがありますが、農あがり(農閑期)に札所巡りをする風習は、かつての島内の風物誌でした。身に付けているもの、すべて手作りのようです。

今や、お遍路ブームもあり、若い人もスタイルにとらわれず自由になり、巡拝の手段もマイカーや自転車、歩き遍路あり(本年2人の方が11泊12日で結願)。霊場会では、遍路号なるバスを毎年走らせていますから、いつでも何回でも参加可能なんです。都合の良い日の時だけのお遍路もOKなんです。亡き人の供養のため(花へんろ)、札所寺院のご本尊様にご縁洲を結ぶ信仰の旅、自分さがし、癒しをもとめての奉拝やお寺の建築、たたずまいを見て回る人、また近年、ご朱印ガールという女子旅も流行っていますが、人によりそれぞれ目的が違いましても、歩くことで心も身体もリフレッシュに‥‥…。一つひとつ煩悩を捨て去り、満願を迎える頃には何事にもとらわれない境地に。

 ☆お遍路の装束

 お遍路の白衣は死装束といいますが、白を身に付けることは決死の覚悟。お遍路により、一度は死して、新しい自分の発見、再生してやり直すことができるんです。5回巡れば青、10回はレッドの赤の納札を使えますよ。

 ☆信仰の島・大師信仰

 島内の周囲はおよそ280キロ、現在、その数字と同じくらい281ケ寺のお寺があるんですが、明治維新の時には539ケ寺ですから信仰の島といわれる由縁です。そして真言王国というはど真言宗寺院が多く、それだけにお大師さん(弘法大師・空海)信仰が篤く、霊験ばなしが伝わります。例えば、外海府の関には浜辺でお大師さまをお迎えした話や護摩を焚いたという禅棚岩や・木の葉石をおまじないし肥料にしたという記録が残っています。また、大師信仰の篤かった証しとして、九百年、千年、千百年目の節目の大師御遠忌記念塔が島内の真言寺院の境内で見られます。

 ☆佐渡遍路のはじまり 江戸中期から

 現在の佐渡八十八ケ所霊場は昭和6年に、佐渡一国遍路霊場として始まりますが、その歩みは古く、延享二年(1745)に始まり、文化十二年(1815)の三崎遍路、国仲遍路など島内に多くの霊場が設けられます。佐渡から本四国へは遠路のため、巡拝は容易でなく、島民の智恵として、四国霊場の写し(移し)として島内遍路が始まりました。
      『四国西国およぴもないが せめて七日の佐渡遍路』
 この里謡は、四国霊場や西国三十三観音霊場へは行けないが、せめて七日で巡拝できる佐渡遍路の札所を巡りたいものだという当時の島民の切なる願いのメッセージです。

*佐渡遍路の目標(課題)

 霊場会では、年間の巡拝者を3万人を目標に努力な続けています。それには受入れ体制の整備を進め、より島外へ佐渡遍路のよさをPR、リピーターを増やしたいですね。行政、観光協会のご協力・ご支援もを仰ぎたい。さて、佐渡観光への団体参拝はどこから始まったかご存じですか。実は日蓮上人遺跡参拝団がその始まりといいますよ。
 昨年、日本遺産に四国遍路が、本年は会津三十三観音霊場が指定、登録されましたが、佐渡八十八ケ所霊場もそのことにあやかり、各地の霊場と交流を深め、道のりは大変ですが、いつしか佐渡霊場サミットの開催を目指したいものです。
 時代こそ変わりましたが、お遍路の習俗が今でもしっかり根付いている佐渡。お遍路さんの上をトキが舞う風景のポスターが作成される日も近そうです。全国の皆さん佐渡遍路ヘどうぞ。お待ちしでいます。


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